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遂に始祖解明か!?

更新日:4月15日




完成した【仲松根系譜】
完成した【仲松根系譜】

私が家系図作成を始めたのは、2005年(平成17年)当時小学4年生だった頃の自由研究の課題で家系図を作ったのがきっかけでした。研究を始めた初期の頃は南城市役所にて戸籍謄本を元に家系図を作成しました。その家系図では江戸の安政時代まで遡る事が出来ましたが、それより先は遡る事が出来ませんでした。

何故なら過去の戸籍は全て沖縄戦により焼失してしまったからです。


そこで、先ずは琉球の歴史について一から詳しく調べてみようと思い、南風原町に所在する「沖縄県公文書館」と那覇市に所在する「那覇市歴史博物館」へ足を運びました。


沖縄県公文書館
沖縄県公文書館

沖縄県公文書館では比較的近代的な公文書を扱っており、県庁の公文書や琉球政府時代の公文書等がありました。

※公文書館は予約が必須な為、行く際は必ず予約をしてから行きましょう!


仲松根が所属している大屋門中と大屋門中の側にあるカンジャー塔(免之大親)について調べてみると、明東按司(ミントンアジ)という人物に辿り着きました。その明東按司という人物こそが下敷屋の祖先だったのです。


早速、明東按司についてより詳しく調べる為、那覇市に所在する「那覇市歴史博物館」へ足を運びました。


那覇市歴史博物館
那覇市歴史博物館

那覇市歴史博物館は2つの展示室があり、1つ目は予約不要で入れますが、有料で【大人350円・子供無料】で入場出来ます。しかし、ここでは手掛かりになる資料は皆無に近いです。


2つ目は完全無料ではありますが、予約が必須で、平日の10時〜12時・13時〜15時の2部構成になっています。

ここにはかなり有力な資料が多数あり、受付に行くと別室へ案内されます。


私は2つ目の展示室へ足を運び、明東按司について詳しく調べてみることにしました。


那覇市歴史博物館(親川翔一)
那覇市歴史博物館(親川翔一)

那覇市歴史博物館では、時間が2時間と有限で資料も莫大な量あるので、かなり苦労しました。因みに那覇市歴史博物館には合計5回も足を運びました。


こうして苦労した甲斐あってか、【島尻郡知念村字下敷屋前城及び風呂間並ニ大屋元祖ノ由来記】と言う、仲松根の始祖に繋がる重要な文献に出会う事が出来ました。

島尻郡知念村字下敷屋前城及び風呂間並ニ大屋元祖ノ由来記(1ページ目)
島尻郡知念村字下敷屋前城及び風呂間並ニ大屋元祖ノ由来記(1ページ目)

島尻郡知念村字下敷屋前城及び風呂間並ニ大屋元祖ノ由来記(23ページ目)
島尻郡知念村字下敷屋前城及び風呂間並ニ大屋元祖ノ由来記(23ページ目)

この【島尻郡知念村字下敷屋前城及び風呂間並ニ大屋元祖ノ由来記】は全部で52ページあり、明東按司の子孫について記載されていました。因みにこの明東按司は免武登能按司とも表記される事があり、那覇市歴史博物館のスタッフにこれについて尋ねたところ、「昔は発音に当て字で記載する事が多かった為、同一人物あるいは同一の場所を示しているものと考えられます。」っと返答を頂きました。


ここまで調査が順調に進み、とりあえず仲松根〜明東按司と言う人物まで辿り着きましたが、まだ明東按司より先の先祖に辿り着けていません。


そこで調査スピードを上げる為、インターネットの力を借りて調査を効率的に進める事にしました。

するとすぐに有力な手がかりとして、九州大学が出版した【沖縄の祖先崇拝と自己アイデンティティ】に辿り着きました。内容は長濱系図に関する記事や西暦600年頃からの系図が記載されており、なんとその系図の最後の部分に【免武登能按司】を見つけました!


【沖縄の祖先崇拝と自己アイデンティティ】より、上記に免武登能按司と表記
【沖縄の祖先崇拝と自己アイデンティティ】より、上記に免武登能按司と表記

この長濱系図が仲松根の祖先が最終的に天孫子まで続いている事を裏付ける1つの可能性として浮上しました。


仲松根の祖先が最終的に天孫子まで続いているという可能性に信憑性を持たせる為に私は南城市玉城字仲村渠に所在するミントン城へ足を運びました。


ミントン城の入り口
ミントン城の入り口

左:ミントン城  右:私有地
左:ミントン城  右:私有地

ミントン城拝所(私有地の2階)
ミントン城拝所(私有地の2階)

※ミントン城は私有地の中にあります。

早速、私有地の2階へ行きミントン城拝所に掲示されている系図を確認しに来ました。

ミントン城拝所に掲示された系図
ミントン城拝所に掲示された系図

掲示されてた系図は、私が調査後に作成した系図とほぼ同じでした。

また、ミントン城に同じ系図があったというのも私自身信憑性が増した様に感じました。最後にミントン城に手を合わせて帰ることにします。



ミントン城での様子


首里城にて子供と一緒に情報収集
首里城にて子供と一緒に情報収集

今回記事では紹介していませんが、仲松根の始祖解明の為に首里城にも子供達と一緒に調査に来ていました。

首里城では直接始祖解明に繋がる手掛かりはありませんでしたが、ここで紹介しておきます。


おわりに…

約20年の歳月を経て各種文献を元に西暦約600年まで遡る事に成功し、遂に仲松根系譜が完成するに至りました。ここで1つ注意したいのが、今回遡れた系譜が確実なものでは無いと言う事です。と言うのも、個人が名前を名乗るようになったのは明治時代の廃藩置県後であり、それ以前の先祖は名前が無かった為、〇〇按司などの肩書きしか無く、仮に血縁関係のない方が、私たちの先祖と同じ〇〇按司を名乗っていた場合に特定がかなり難しいからです。また、古代の系図が残っているのは王族のみであり、仮に私たちの祖先が百姓だった場合は免武登能按司より先は特定は難しいです。この様にまだまだ不確定要素があまりに多すぎるので、今回私が作成した仲松根系譜についてはあくまでも、一つの可能性として後世に伝承して頂きたく思います。最後に今回作成した仲松根系譜については仲松根にて掲示していますので、遊びに来た時に確認してみて下さい。


 
 
 

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